SSブログ

8月某日

苦しいからって救急車呼んじまった女がいたんですよぉ。 なぁ~にぃ~~やっちまったなぁ~! 女は黙って、我慢!!

とはいかなかったんです..
昨日の朝、さぁそろそろ起きようかなとノビをしたら頭がクラッとした。
それから、少しでも動くと眩暈がし、吐き気がし、息苦しくなってゆく。
じっとしていても良くならないどころか、段々「こ、これはやばい」風に具合が悪くなってゆく。

ベッド脇の電話から、息子の携帯に電話。世の中便利!
起きてきてくれた息子に具合が悪いと訴え、いつものドクターに電話。
今すぐ来られますか?..息子に支えられ起き上がろうとしてもダメ。
迷った挙句、苦しさに根を上げ、「救急車呼んで」!

思えば数年前、スタンフォード大学病院近くのショッピングモールで具合が悪くなり、
一緒にいたユキドンをもう自分が死ぬ思い?にさせ、救急車でスタンフォード大学病院の
エマージェンシールームに運ばれた過去がある。
その時救急車が走ったのは5分程、請求書は$920(10万ですね、ほぼ)!
医療費は勿論別です。
2度と乗るまいと決心してた。8マンにも言われてた。救急車は呼ぶなよと。
入院したら「自分で帰れますと退院しろよ」と[わーい(嬉しい顔)]

でも再びお世話になってしまいました。
息子が受話器を置いて、僕も用意しなきゃと、ジャケットに片手を通したところでノックの音。
速い!!こちらは必ず消防署の人達とセットでやって来るから、ベッドの周りに大きな男性が5人と
女性が一人!今だからこんなリポートしてるけど、その時は息も絶え絶え。

容態を見、てきぱきと処置し、息子にいろいろな質問をし、どこの病院に運んで欲しいか?聞く。
以前行ったのはスタンフォードですと息子が答えたら,oh!とちょっと驚いてたって。
だってあの病院、信じられないような!目の玉飛び出るくらいのお金を取るんですから。

で、近くの病院へ搬送してもらい、点滴をし、投薬してもらい、数時間で帰れるようになって
無事、事無きを得ました。でもその間、点滴が効いてきて楽になるにつれ、
また凄い請求来ちゃうんだろうなって思っちゃったり...
日本の皆さん、救急車が無料!って言う有難さ知ってく下さい。
こちらの救急隊員て言うのは確かにお医者さんくらいの手当てをできるようになってて、
日本も今はそうかもしれませんが、とても優れてはいます。
でも、医療全てがとんでもない費用がかかるこの国は、死にそうな?私にもベッドの上支払い了承のサインをさす。
国民健康保険、社会健康保険?このシステムは本当に有難いんですから。

ここに住んで20年経っても、青い目をした屈強な男が、私を覗き込んで
「what your name?」と聞く。それには慣れません。
日本語で細かく訴えることができたら楽だなぁって思う。
でも、医療の高度さと言う点では安心もできる。
全てにおいて、海外に住むことの一長一短は仕方の無いことですね。


消防士さんは部屋を出る時、「ここにどれくらい住んでるの?」と息子に聞き、
「いいね、この部屋」と言い残してったそう。
その部屋も、サブプライムの影響を受けて、なんと突然家賃が$300もいっぺんに値上げ!
う~~ん、そんなのあり!?のせちがらさ。

そんな中、昨日、ロスに住む娘はスーパーマーケットで財布を落としてしまったそう。
もう諦めていたら、親切にも拾ってくれた人から電話。
電話では英語が余り通じ無い人で、不安な娘は男の子2人に付いて行ってもらったら、
おばあさんが2人が道端で娘の財布片手に手を振っている。
「クレジットカードが入ってたから、スーパーに預けたら失くなってしまうから、自分が持って帰ってきた」
お礼に持っていたスタバのカードを差し上げようとしたら、「いらない、いらない!自分もよく財布を失くすから」と
本当に親切な方だったと娘は喜んでいました。

アフリカにいる8マンとは、相変わらず幻のような映像と、
物凄く遅れる音声での交信をしています。

5月から引き続き絶えない、日本からの来客。
引越し準備に忙しい末っ子。
私も頑張らねば..眩暈なんてしてらんない?!



世界はひ~とつ?

昨夜、と言っても午前12時半を回ってたから今朝。
初めてアフリカの8マンとスカイプが繋がった。
エ~~~!!
もう化粧落としちゃったし、ノーブラだしぃと、少しどうしよモードの私でした。haha
でも、8マンの画像は映らなくって、お互いに声をはりあげて「聞こえる?」「聞こえてるか?」ばかり。
そして、向こうの夜中、こちらの午後にまた繋がった。
今度はボンヤリだけど8マンが見える。
雑音や時差や中断と、会話は進行しない。
それで今度は「見えてる?」「見えるかぁ?」ばかり。
でも久しぶりに元気そうな、あの笑顔が見られて良かった。
不思議な物で、いざスカイプ繋がったら話せなかったんだよね。お互い待ってんの、相手の言葉。
アフリカは冬で、こちらは夏、向こうは夜中でこちらは昼、何もかも反対。
だけどお互い笑顔が嬉しいは一緒でした[わーい(嬉しい顔)]

ahurica5.jpg



さてさて、7月ですねぇ。
先週末の日曜は、サンフランシスコは世界3大奇祭なんて言われる、ゲイパレードの日でもありました。
今年は、同姓間結婚が認められた事もあり、人出も多く賑やかなパレードでした。
昔はトップレスのレズビアンの人達、レザーコズチュームで闊歩するハードゲイの人達がパレードしてたけれど、
最近はコスチュームでアピールしたりお祭り気分で盛り上がると言うより、皆自分達の生き方を晴れ晴れと主張してると言う風に感じたのは私ばかりではなかったかも。規制が厳しくなってることもあるのかもしれません。



宗教的、あるいは人道的、様々な理由で眉を顰める方も、反対する方もいると思う。
けれど、`show your pride と書いたプラカードを掲げて手を振る人達、子供連れの(どうなってるの?の疑問はさておき)男性同士、女性同士の家族達、184団体(SF消防団の人達、学校、銀行、あらゆる職種の団体から)何万て言う人達が行進する姿、ビルの谷間に沸き起こるワァ~~と言う歓声。
それはそれで感動的でもありました。
gay2.jpg



私は難しい事は分からない。考えたことも無い。
判断する基準も持ち合わせない。
けれど、人間は何かに既存したり、寄りかかったりしなければ生きてゆけないようにも思います。
性同一性障害で苦しむ人もいる。同姓しか愛せない人もいる。
私だって、性的にではなくとも、ひょっとしたら人と違ってるかもしれない。ただ気づかない、気づかなくて済んだ、あるいは今までの社会基準に従ってることに何も疑問を持たなかった、主張することをもたなくてよかった 
などなど..考えると、形は違っても皆同じなんじゃないかって、そんな風に思ったりもしたのです。

来週は1年ぶりに東京に居る次男坊が帰ってくる。
8マンの笑顔が嬉しい、次男坊の笑顔も楽しみ、大げさに言えば、みんな、みんなの笑顔が一番嬉しいと思う最近なのです[ハートたち(複数ハート)]



それぞれの居場所




お父さん&お母さん、

報告遅れましたが、
6月10日、Santa Monica Collegeを無事卒業する事が出来ました!!
4年間も短大に通っておきながら、今更胸張って言う事じゃないんだけどね(笑)
長~いカレッジ生活、一般的な学生がするべき「勉強」と言うものに、決して努力を注いだとは言えないけど
学校嫌いな私なりに、「卒業」という言葉に達成感を感じています。
何より、LAで過ごした2年間、友達が出来て、バイトして、たくさん旅行して、
サンマテオとは違う新しい居場所が出来た事に満足しています。
それに協力してくれた事に感謝です。
今まで本当にマイペースにやって来たけど、
これからは、「学生だから」って言う言い訳は利かなくなる。
ちゃんと自分に責任を持って、「自立」に向けて頑張ります。

ちなみに今日、4泊5日のメキシコCANCUN旅行から帰ってきました。
カンクンは空がでかい!!!海が青い!!!めっちゃくちゃ楽しかったよ!!
こないだ言ってた「お金を貯めて旅をする」って言う目標を本当に実現したくなったから、
それに向けて日々頑張ろうと思います。
安全と健康を心がけながらね!!

お父さんもお母さんも体には気をつけてね。


娘からのメールに親バカながら、少しジンとなった私です。



「hello~×××・???」ちんぷんかんぷん♪
アフリカの8マンに電話すると、一度ではなかなか通じてはくれず、時には現地の人が。
ハローこそ言ってくれるけど、そのあとはちんぷんかんぷんヘキサ~ゴ~ン♪
かけても、かかってきても途中で切れちゃったり、昔の電話のような微妙な時差。
未だ仮宿舎のホテル住まい。洗濯もホテルでしてもらうのだけれど、
洗濯場に行ってみたら、洗濯機は3台あるのにオンナの人達は手で洗っている。
何故なら洗濯機の使い方が分からないからだそう。そして乾燥機ではなく洗濯ロープにかけて干す。
様々なカルチャーの違い、厳しい環境、不便さ、馴染んだ文明とはかけ離れた世界。
そんな中で、一体いつ帰って来られるのか分からない状況。でも頑張っている。

私と言えば、8マンが赴任後から何となく忙しい。家庭を預かるとは大げさだけれど、
何かと頼っていた雑用も多い。今は日本からの滞在者もいる。
予定の詰まった日々は、有難いことに独りの寂しさを感じさせない。

今、日本に初めて親と一緒ではなく遊びに行っている末っ子も、きっと少し成長して帰ってくるだろう。

東京で働く息子達は、仕事や会社組織の中で揉まれ鍛えられ、自分達なりの道を進んでいるのではと想像する。


それぞれが、それぞれの居場所でガンバル。



うん...そうだね。  人にはいろんな時間がある。
楽しもう、頑張ろう、生きよう  だね。[かわいい]






一人頃の独り言

油断したら怠惰になり
甘んじたら無意味になり
迂闊にいたら孤独になる

え、いきなりナニって?

いえ、一人暮らしのことです。

6人家族のうち、2人は東京、一人はロス、8マンはアフリカ、
そして8月に最後にもう一人家を出たら私は一人暮らし。

勿論たまには誰かが帰ってくる、
すでに6月からは日本から3組の来客予定。
近所には仲良しもいるし、ネットはいつでも誰かしらと繋がってるし
実際にはそんな大げさなことでもない。

でもどこか気持ちの切り替え?人生のターニングポイント的な気分がしてるのも事実。

結婚して、アメリカに来て、4人の子供も成長した。
初めて自分だけの時間と向き合う時期が来た。

さてナニをする?

とりあえず
去年から始めた虫歯インプラント計画を終了させる。
(時間とお金がかかるからね^^:)
外反母趾の手術をするかな。
(早速ドクターに行ってみた。)
つまりは体のメンテナンスからってことかな。

ここと、故あって通うことになったベガス、東京を行き来し、
可能な限り新しい土地にも旅してみたい。

何か一つ習い事もやってみるかな..
仕事は?

頭の片隅にそんなこんなを考えたり想像したりしている私。


1650309

何年かぶりのペブルビーチ。爽やかな風、光る海 青空。


1650306


お友達の洋子ちゃんちのウォーターフロントのお庭。
丹精こめたお花がいっぱい。

あ~~気持ちのいい景色に囲まれて..
感謝しなきゃね。




久しぶりに!

ブログ記事更新からすっかり遠のいていたこの2ヶ月近く!
一体何をしてたかって...

日本へ行き、帰ってからずっと続く時差ボケと不眠。
加えて今年はヒドイ花粉症。
加えて腕の痛みでパソコン離れ。
加えて子供達の車の事故。
加えて毎夜、毎夜画面に釘づけ韓国ドラマ「チュモン」。
加えて寝る前に読みふけった「神の滴」。
加えて..
8マンのアフリカ出発も5月5日と本格的に決まり、
一緒に居る時間優先の最近の生活。

ブログの記事も書いてないなぁ~って思いつつ、
何時か又書く時もあるさと思う毎日...なのです。
なのでブログ留守中を写真で記録しとこうっとの巻き。


今年のバースデーは高知に集合!月の名所の桂浜♪で
元気なアンジェラにも再会!

1588902
<「ねぇケーキ屋さん、ケーキ屋さんはどうしてそんなに優しいの?」
竹内結子風に。ケーキをお願いしたら素敵な花束までプレゼント!
土佐は人情溢れる所です。

1588823

お部屋に呼んだマッサージ師さん?

1588826


今回の滞在中すっかりお気に入りとなった東京は銀座。
虎屋さんであんみつ満喫。
息子達との深夜のデートも楽しかったな!

1588819

NYからのトミヒメを囲んでディナーに。

1588821

1588903
6;

楽しいことの後にはこんなことも^^;
ライセンス取ったばかりの息子がパーキングでバイクを倒し、
後ろのBMWに!よりによってBMじゃなくたって!

1588986


先週末は8マンとベガスへ。[ハート][スペード]
ファントムオブザオペラ、ラスベガスバージョンは最高でした!


1588989

1588988


ハア~~久しぶりのsonetさん、全くシステム変わってるしぃ
とりあえずこの辺で。[ふらふら]

年がばれちゃうぜ服装編

幼少期  家ではネルの着物にチューリップのアップリケのついた毛糸の羽織。スカートの下には必ず毛糸のズロースをはかされていた。当時子供の既製服は少なく、お出かけ用の服は生地を買って仕立ててもらう事が多く、夏の白いレースやローンのワンピースは今も記憶に残る。

中学生  女子高に入りセーラー服に。指定店で決められたものをそのまんま着る。おしゃれに少~しだけ目覚め始めるも、花柄スカートにストライプのブラウスなんて、今思えばオシャレ難易度の高い、よく分かって無い編からスタート。

高校生  セーラー服の仮縫いをして、胸の開きは大きく、スカート丈は長くプリーツの数は多くとこだわるようになる。学校帰りに毎日、当時全盛だったVANやJUNに通い、男性の店員さんに憧れる。休日も私服厳禁の校則なんてくそくらえ、ROPEの新作が出る度買ってもらったミニスカートやパンタロンに大きなバックルのベルトを絞め街を颯爽と歩いているつもり。この頃からデザイナーズブランド,BIGIとかピンクハウスとかが出てきて、背伸びして買ってた。輸入ショップでいかに新しく早く可愛い小物を持つかが「えばり度大」だった女子校時代だった。

家を出て一人暮らし。最初に出会ったオトコがヒッピースタイルでJAZZが好きだったので、精神的ポリシー無いままに米軍払い下げアーミーシャツやベルボトムを着用。オトコ手作りの仏壇の敷物のような柄のショルダーバッグなんぞかけ、京都辺りの店でJAZZに聞き入るフリをする。

次に出会ったオトコがばりばりアイビールックだったので、急転換。映画卒業のダスティンホフマンそのもみたいなスタイルのオトコと気分に浸る。なので汚い格好からは卒業。ちなみに8マンも典型的アイビールックだった、その名残は今も続いています。

卒業後  実家に帰り、自社店員となったらお金は自由になるので、第一次ブランド期に入る。サンローランの綺麗な刺繍のウエッジソールの靴、無理して履いて外反母趾になる。ウンガロのセーター、ディオールのバッグ、何故かピエールカルダンのスカーフも懐かしい。が、時代はコムデギャルソンに移り、アバンギャルドなスタイルにも憧れる。が、原宿ミルクのフリルフリフリブラウスなんかも着てたから、自分探しの時代だったのね。

結婚   8マンとうまくゆかず若奥様気分に浸りたい夢は消え、六本木のディスコに行ったりする日々、どんな格好してたか記憶に乏しい。8マンとの関係修復後子供が出来、子育てにも経済的にも追われブランドなんて遠い世界。そうそう、上はたっぷり足元ぴったりのスパッツ(スキーパンツ?)が流行ったな。ミヤケイッセイのプランテーション、アルファキュービックって言うレーベルなんかありました。

アメリカに。 ここに来て初めてアウトレットとに出会い、ラルフローレン好きの8マンの影響、経済的理由からもラルフのポロ、Tッシャツ、トレーナー一色となる。全てアウトレット。その後、子供が就学し,PTA役員になったり、駐在員の奥様会に入るようになり、スーツやワンピースを着るようになる。また少しブランドバッグも買えるかなになり、その後また息子達が大学に入りお金が掛かるようになって、暫くの間ご無沙汰。ヴイトンで「みかちゃん、2年間何も買ってないでしょ?!」と言われる時代に。そう、アンアジェラと出会って髪の毛も伸ばし、はで~~になったのも記憶に新しい。胸強調のキャミソール、色鮮やかなTシャツ、キラキラグッズ、フフ..アンジェらと夜遊び不良主婦時代。若作り?の絶頂期でもあった。

と、ここまで書いてきたら...

「私のファッションってその時々のオトコに影響され、夫の経済力に影響されてきたのね」と今更に気づく。何故こんな事を急に振り返ったのかと言えば、初めてトレンチコートを買ったから。

バーバリーの定番ベージュ。これを買ったせいで、私は急にベーシックでシンプルで、身分相応可能な範囲の良質な物が着たくなってきたの。袖を通しながら、あ~~今までイロンナ格好してきたなぁ~って思ったのね。

髪の手入れや爪の手入れに怠らない友人は見習わなきゃいけない、体系維持の為に努力する友人には敬意を覚える。カラーコディネートの上手な友人はいつも周りを明るくしてくれる、3万円のアンチエイジングクリームを教えてくれた友人には感謝を(もっとも買えませんけど)、いつ会っても華やかなアンジェラは女はこうでなくちゃって思わせてくれる。

ふつ~のおばさんにはなりたくないけど、ちゃんと自分を知るオトナにいい加減ならなきゃとも考える。

まだまだ試行錯誤は続くけれど、そろそろ大人可愛い私スタイル見つけたいなんて思うこの頃。だから生活スタイル?まず見直さなきゃね..なのです。春、アナタはどんなスタイル?   

   

      

 

    

 

 

 

 


林檎..番外編


夫の実家へと向かうタクシーの中で、奈央は、強くこめかみを押さえつけられた様な痛みと極度の疲れを感じながら、時間と戦っていた。

都会暮しに慣れきった体と心は、田舎への道に億劫さを感じている。いつも元気だった夫の孝道が、疲労感を訴えるようになり、食欲の不振も手伝って、仕事や年齢のもたらす体力の衰えばかりとは言えない様子を見せ始めたのは半年前の事だった。医者嫌いの夫が、自ら「俺もそろそろ年貢の納め時かもしれんな。健康診断でも受けるか」と近所のクリニックを尋ね、大学病院を紹介され、その後手術、入院治療と慌しく進んでいったのは全く思いがけも無い出来事だった。現代人にとって余りに耳慣れてしまった、悲しくも恐ろしい病名は、告げられてもすぐには理解が出来ず、奈央は夫の気持ちをどう思いやり、何をどうすればいいのか分からなかった。自分の気落ちさえ測りかねて戸惑い、そんな自分の在り様に「自分は冷酷なのだろうか」と後ろめたさも感じ、受け止めきれない事実に困惑した。だが、急を要した手術、その後の入院生活に追われ、毎日夫の下に通い、容態が安定した頃になって、改めて驚きと恐怖を覚えたのだった。幸い極初期のもので手術も成功し、今後無理は出来ないまでも、無事に一つの難関を乗り切ったことを確認できた時、初めて涙がこぼれ、声をあげて泣いた。奈央は思いがけないこの出来事が、夫の事を、そして妻としての自分を、夫婦としての二人を、改めて見直すべき、突きつけられた問題であるかのような気がし、穏やかに眠る夫の顔や、少しずつ体力を取り戻す夫の顔を見る度、以前には無かったかもしれない真剣さで考え込むのだった。

孝道は大学を卒業して勤めた会社の三つ先輩で、屈託の無い明るい性格と、苦労知らずのお坊ちゃん育ちに、商社と言う職場でたくましさ、図太さを身につけたような男だった。キャリア志向もなく、若いうちに結婚したいと思っていた奈央には、格好の相手だった。子供には恵まれなかったが、夫婦二人の生活を楽しむ余裕もあり、特別に深い愛情も感じなかったが、いや、必要なかった程、安定した夫婦仲だった。他人から見れば、何程の不平不足があると言われるような主婦でありながら、奈央が他の男に走ってしまったのは言訳の吐かないことだった。だが、夫との生活を壊す気のない、只無邪気に食事をしたり酒を飲んだりの時間は、さほど、罪の意識をもたらす事はなく、それに体の関係が加わっても、妻でありながら一人の女であることに戻る時間は、奈央に華やかさと若さを与え、夫からは得られない女として生きる為のサプリメントであるかのように、奈央に思い込ませていった。

病院での一定期間の治療が終わり、退院後の自宅での療養も落ち着いて、体調も安定すると、夫は生まれ育った田舎の家に帰ってみたいと言い、一月ほど前から年老いた義母の下で暮らしている。一緒に訪れた夫の実家では、穏やかな姑が決して口にする事は無いにも拘らず、奈央は心の片隅に「夫の思いがけない発病は妻の責任である」と言う負い目を払いきれずに居た。 

実家に帰ってしばらく経ち、夫の状態も良い頃合を見計らって、奈央は一旦自分達の家に戻って来た。留守宅の事も気がかりで、済ませておきたい雑用もあり、それは全くの事実ではあったが、気持ちの何処かに、強張った肩の力も、張り詰めてきた息も抜きたい思いが無かったかと言えば嘘になる。独り我が家に戻り、午後の陽射しが、閉めきったカーテンの僅かな隙間から差込む中、リビングの椅子に身を委ねると、この数ヶ月の重さが深く長い溜息となって奈央の口から毀れた。 

最後に会ったのはいつだっただろうか...結婚してから初めて吐いた夫への嘘が、自分自身にも予想できなかった長さで続き、世に言う浮気、不倫の関係を続けてきた男。夫には全く気づかれていない、気づく筈も無いという安易な思い込みが、奈央と男を楽天的にしていたのかもしれない。一月に二度か三度の情事は、奈央の女であることの,又女であるための証しであり、自分にしか通用しない方法だった。お互い割り切った関係だと言う了解は、時に互いの家庭の話も話題に上せる程ではあったが、危うい立場の上に成り立つ男と女の狡さと自覚が、無意識に言って良い事と、言わない方が賢明だという事の選別をさせ、互いの家庭における負の部分については語らないと言う、暗黙の形が出来上がっていた。 奈央が男に、夫の病気の事を告げたのは発病してすぐの事だった。実際今後会うことは困難になるだろうと言う諦めと、その癖誰かに支えて貰いたい気持ちが合い混ざって、奈央は男に自分の想いをぶつけたのだった。だが、男は冷淡とも思える平静さでで話を聞くと、会えなくなるだろうことへの落胆も執着も見せず、落ち着いた物腰で納得し、奈央の話に頷き、了解した。「そうか、君も苦労するな。頑張って、ダンナの世話をしてやるのだな」男の分別と物分りの良さは、奈央にとって一抹の淋しさだった。こんな時こそ支えて欲しい、だがそれは求めてもいけない、求めるべき相手でもなかった。その日が、長く続いた二人の関係の一区切りのように、それ以来会っていない。一人の時間が、奈央の忘れていた男への執着をどこかで呼び覚まし、電話をしてみようとそそのかしていた。「もしもし、私です。お久しぶり」「ああ、しばらく。ご主人..どう?」「ええ、元気よ。思ったよりずっと回復も良くて」「そうか、君も大変だったね。」男の短いねぎらいの言葉が、それでも嬉しく感じさせたのは、男の声の低さだったかもしれない。「ねえ、会わない?久しぶりに一人の時間ができたのよ」「いや、やめておこう。なぁ、俺たちもう終わりにしないか..」その言葉は、奈央のどこかで予想もし、もう出していた結論のようでもあった。長い間続いた、世間を憚る男と女の関係は、平和な暮しの中でこそ成立していたのかもしれない。こうして夫の病と言う険しい岩にぶつかってみれば、いや、これが男の側の問題であったにしろ、情事と言う船は、世間と言う河を渡れはしない。二人の間の了解に、説明の言葉はもういらなかった。「楽しかったよ。俺はキミが好きだった」「私もよ。ありがとう」

 もうすぐ夫の実家が見えてくる。少し手前で車を降りよう。奈央は車を降りると、舗装されていない、土のままの道をゆっくり歩き始めた。田舎家の塀のあちこちから、様々な果実の樹がのぞいている。足元に、落ちた林檎を見つけ、奈央は立ち止まった。青さを残した小さな林檎を拾い上げると、地面にある時には見えなかった丸い形の片頬に、黄土色に腐敗した、虫食いの跡を見つけた。夫に隠してきた罪は、この虫食いの跡のように、自分の中に刻印されているのだろうか。しばらく眺め、スっと鼻先に近づける。発酵した甘酸っぱさが、何かをふっきらせるかのように、ツンとしのび込んできた。 林檎を手から落とすと、奈央は姿勢を立て直し再び歩き始めた。

これからは、夫の傍らで生きて行こう。男としての、夫しての孝道ではなくそれらを超えた、出会い、結ばれ、一生を一緒に生きて行こうと誓った人間として、一人の人間に対する愛という道を歩いて行こう。例えそれが、勝手な都合のいい考え方であろうとも、自分はもうこの道を迷わないだろう。奈央は、自分の考えがまとまると、男と別れた寂しさも、自分の侵した罪の償いが、夫の病であったのだろうかと言うかすかな畏れも、どこか帳消しにされたような気持ちで顔上げ、夫の待つ家に向かって行った。     

 


アンジェラ、忘れてたわ!官能小説書いてって言うコメントで思い出した。ねぇ林檎の中の奈央覚えてる?久しぶりに登場させちゃったよ笑

ワタシが小説ならぬ作文をを書き始めて、新聞広告を見て送ったのが「新風舎」だった。一度来て下さいって言う甘言に、二人で青山の会社まで行ったわね。出てきた青年にイロイロ尋ねられ、二人でからかって「主人公の不倫相手の名前はオサム」とかって、アンジェラ彼の名前を言って大笑いしたね。

あの会社潰れちゃったのよ。悪質な自費出版営業でね。あれから何度か勧誘されて、でももとより一瞬の遊びだったしね、お誘いにのらず正解?でした。笑

実はもう一社ちゃんとしたとこにも送ったのよ。そこはちゃんと適切なアドバイスしてくれた。あの頃、ワタシ、主婦が夢見るような感じだったのかもね。でも、ワタシ書くこと好きなんだなって思い出したの。ブログもその表現できる場所なんだなって。官能小説?あれって意外に難しいかも。私の中に眠ってしまった官能をまずは呼び戻さなきゃ!?笑

それにはアンジェラ、そんな話し相手になるのは貴女だけってことよ!?

もうすぐ私達バースデーなのよね。一緒にお祝いしましょ!女であること、主婦であること、妻であること、母であること、友達だってことにね! 


雨模様

ボストンに出張している8マンから電話。

「俺に何か×××たいことないか?」

「え?たかりたい?!」..

「ちゃうがな、語りたいや!オマエはずっと俺にたかってるやないか!?」

先々週買ってもらってたバッグを返品に行って、代わりを見つけたいとウロウロしてた時の電話だったから、そう聞こえちゃったのね

 

何だか書けないこの頃。毎日毎日..パソコンの調子は悪く、ワタシの腕の調子も悪く..

週末、出張先から帰ってくる8マンを迎えに行き、週明けに送り出す。土曜日、日曜日は買い物や食事に出かけ、月曜日から木曜までは学校の送り迎えと家事,TVを見たり雑用したり..平和で平凡な生活。午前中に家事を終えてしまい、何も予定が無い日、一人になったワタシの心の中に、小さな小さな焦りと孤独がほんの少し訪れる。もうすぐ8マンはアフリカに行く。一人家に残っていた末っ子も、この夏には家を出て一人暮らしを始める。その時、本当に一人暮らしが始まった時、ワタシは一体どうするの?仕事もしていない、趣味の習い事もしていない、昔のようなPTA活動とかももう関係ない、何かの為の勉強もしていない、根気も努力もない、友人と出かけなければ一人で買い物に行って時間を過ごすしかない、何だかナイナイ尽くし..贅沢で怠惰な焦り..こんなんでいいのかなぁって言う隙間感。最近のワタシの心です。

今日、友人がこんな言葉を送ってきました.「元気な体が欲しい」....

やりたい事がたくさんあって、頑張る人で、何かを途中でやめなきゃいけないと落ち込む人。

何もしたい事、頑張る事、頑張った事がないから挫折感も知らないワタシがこんなに元気で健康で...

人間って不条理だと思いながら、返事を探すワタシ。

結婚して子供を生んで育て、主婦業に専念し、いい友人にも恵まれ、ずっといないと寂しいけど、たまにいないのは気楽と笑っていられる夫を持ってやってきた30年..今、自分が見つけた自分の中の隙間、これからどうやって埋めてゆくか。そんな事を考える人生の時を遅巻きながら迎えてるのかな。

だからって、湿っぽくなってしまいました

そう、皆さん 朝青龍と白鵬の試合ご覧になりました?

  

 i Phoneで観た試合。

白熱の試合、朝青龍負けて、不祥事続きの相撲界もちょっとけじめがついたかな?

雨の夜、何故かチャイニーズの人たちの集まってる茶店で、アイフォーンで、YouTubeで観た試合。便利な世の中、不思議な情景?何度も観ながら盛り上がった夜でした。

 


違うけど、違ってもいいかな

先日ビデオでNHKスペシャルを見てた。

ある登山家夫婦のお話で、ご覧になった方もいらっしゃるかも。

孤高の登山家として、決してチームは組まないで数々の難壁、高山を制覇してきた彼は、初めて一緒に登りたいと思った女性、9歳年上の妙子さんと結婚する。彼女もまた経験豊富な登山家。そして一緒にn登った山で雪崩に襲われ、妙子さんは転落、絶壁に宙吊りとなる。救助したくとも彼は雪に目をやられて目が見えなくなっていた。そこで、零下30度の中手袋をはずし、手探りで岩肌を探り、右の小指で一時間、左の小指で一時間と、手の感触だけを頼りにハーケンを打つ場所を探し4時間をかけて彼女を救出。

奇跡の生還を果たすが、彼は手足の指を10本、たえこさんは18本を失っていた。それから5年後、二人はまた山に登る。リハビリと訓練を重ね、そんな事故にあいながらも突き動かすのは、ただ山に登るのは楽しいと言う想い。たえこさんは51歳!お化粧っけも無い彼女は、指が2本しか残っていない塊のようなたくましい手で家事ををこなし、山に登る。

標高1300メートルの断崖絶壁。どうしても頂上にたえこさんを立たせてやりたい、自分よりも先に立たせてやりたい彼。二人は一歩ずつ確実に危険な岩場を克服し登頂に成功する。そんなお話だった。

 

私は山登り系のお話は苦手~~と言うタイプの人間。でも今回は感動して見させてもらった。勿論、障害を背負って山に登ることの凄さも、その精神力も凄いし、山以外に何も望まない、欲望も持たない純粋さにも驚いたけど、このご夫婦の在り方に、「こんな夫婦もあるんだなぁ」って心に沁みた。

番組中9歳年下のご主人は、何度も何度も「たえこ」「たえこぉ」と呼びかける。本当に愛して尊敬して、彼女しか人生の伴侶はいないんだって感じさせる呼び方が印象的。一緒に山を登ることが夫婦の人生そのもの。私の下手な文章力ではお伝えできないけれど、お互いを信頼しきって、助け合って、同じ道を辿る。山に登ると言う形だからこそ分かりやすかったかもしれないけれど、何だか素直に感動しました。

なかなかこうはいかない..邪念も欲望もいっぱいですから..夫婦って改めて考えてみる事も滅多に無いし..純な人間じゃ無いし...でも、

「ま、今度出張から帰ってきたら、このビデオ見せてあげよう。一緒に見て感動しよう」って思った私でした。     ほらね、なんか違う ..

               でも、ま、いいか...

 

      

          まだ寒いけれど気持ちがいいお天気!

 

  


遅いご挨拶

「ねぇお願いはしちゃいけないんだって。100円かそこらかのお賽銭でアレもコレモお願いしますなんて虫が良すぎる。今年も頑張ります、努力しますって神様と約束する。約束を守るから護られるんだって。ホラ、守護って言葉はそうでしょ?お願いしますって頼む方じゃなくって、護ってあげますよって言う方にはお賽銭い~っぱい入ってくるしね」..な~~んて言ったら、エ?って言って8マンと息子はクルリと踵を返し、もう一度手を合わせに行った。何を誓っているんだろう。仕事の事、家族の事...

いつもの喧騒も華やかさも影を潜めた静かな元旦の夜。開いてるお店を探して食事をした帰り道、小さな祠の恵比寿神社で手を合わせた。

あけましておめでとうございます。皆さんはどんなお正月でしたか?

どうぞ今年も皆さんのブログの中に、たくさんの幸せが見つけられますよう。

12月21日から日本に帰国して来ました。まず向かったのは故郷高知。

義母の一周忌には東京で働く息子達や、ロスの娘も参加でき、家族親類集まって、和やかな一周喜となりました。義母の生きているうちにできなかった罪滅ぼしにと、8マンは家族全員で故郷に帰る事決めています。そして私の母の米寿のお祝いも家族全員ですることが出来ました。

月の名所の桂浜~で母と一緒に一泊。土佐の名物が並ぶテーブルで、乾杯をし、プレゼントを贈ると、母は何度も何度も「こんなに幸せな誕生日は生まれて初めて」と喜びました。

特別な贅沢もない、ささやかな一泊なのにこんなに喜んで。喜ばす事がこんなに容易い事なら何故もっとしなかったんだろうとも、亡くなった8マンの母には申し訳なかったとも思ったことでした。8マンは来年はもっともっと盛大にしましょうと母に約束をしてくれました。

翌日は坂本龍馬記念館に。維新には数々の人物を排出した土佐だけれど、やはり龍馬に勝るものは無し?この記念館、なかなかいい所です。司馬遼太郎の言葉が泣かせる。龍馬の人となり、魅力をしばし堪能したその向こうには太平洋が広がっていました。

       

25日クリスマスからは東京に滞在。せっかくの夜、クリスマスイルミネーションでも見に行きたいと思うのに、時差と疲れで元気が出ず、ホテルでグダグダしてしまいました。26日夜はブログ仲間との楽しい再会!その夜予約してくれていたのは、広尾にある創作和食のとてもお洒落で美味しいレストランWAGAN。昔住んでいた辺りだった為、懐かしさもひとしおでした。最近は8マンもすっかりブログ仲間に入れてもらい楽しそう!仲間達と歩く夜道、寒さも楽しさに変わった夜でした。

毎日盛りたくさんのスケジュール。アキバでは8マン初のメイドカフェデビューで1チェキ500円のツーショット。劇団四季のライオンキングを観に行ったり、昔サンフランシスコに駐在していた友人家族、総勢22名が集まったパーティーでは、子供達の見違えるような成長に驚き、何年たってもすぐにワープできるいい友人達に恵まれた事を再実感しました。ガイジンサン気分で連れて行ってもらった浅草には水上バスで。水の上からの東京はまた風情があって。お台場の夜景も堪能しました。

  

お世話になった皆さんほんとうにありがとう!

そんな中、トンボ帰りではあったけれど、名古屋のアンジェラに会いに行きました。新幹線のホームに降り立ったら、目の前にはアンジェラとダーリンが!アンジェラからは病の影はもう見当たらない。私の大好きな、いつもどんな時も変わらない華やかで明るい笑顔。嬉しかったな。黒いカシミヤコート姿も素敵なダーリンとの話も楽しく、美味しいお食事を頂き、お買い物もし、アンジェラがいるから名古屋はもう私の街なのでした。

さていよいよ年越し。当初の温泉だ、香港だなんていう計画はどこへやら。30日は次男の引越しを手伝って8マン奮闘。私は長男の部屋を思い切り大掃除。大晦日はデパ地下の人込みに圧倒されながら買出しをし、長男の部屋で家族揃って年越しをしました。紅白歌合戦見たり,K1見たり,ki見たり..最後の紅白判定だけは、ベランダから見える東京タワーでリアルタイム。

離れて暮らすようになり、それぞれが成長した今、一緒に過ごす時間は少ないけれど、「一緒にいて楽しい家族になれたこと」「親子、家族って年月と共に互いを認め合えるようになるんだということ」を嬉しく感じながら見た東京の夜景でした。

たくさんのお土産で膨らんだ荷物、毎日おいしいよ~~と食べ過ぎたせいで膨らんだお腹を抱え、帰って来ました。そして帰って来たらまた仲間が待っていてくれて。 

            

高知も東京も名古屋もサンフランシスコも..そこに人がいるからこそ..

          家族、友人大切な人達がいるから特別な場所になる。

今年も一年どうぞよろしくお願いします。 


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。